南蛮柿の歴史

天草は16世紀後半に南蛮文化の影響を受けた地であり、キリスト教も広く伝えられました。
「天正遣欧少年使節」が帰国後に活動した地でもあり、様々な西洋の文化が伝えられました。 また、「天正遣欧少年使節」の引率者メスキータ神父の記録(手紙)によりますと、“ポルトガルのリスボンからイチジクの苗を持ってきた。” との記述があり、天草はイチジク発祥の地とも言われています。 イチジクは、今も天草で南蛮柿と呼ばれ、夏のフルーツとして親しまれています。

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